おもうこと

ふつうの20代ってこんなかんじ

いもうと

2歳の時、妹が生まれた。

その小さな存在がよくわからなかった。

泣くから怖かったけど可愛かった。

触りたくて、なにかしてあげたくてずっと見てた。

 

この頃から、父と出かけることが多くなった。

母は、妹につきっきりだった。よくわからなかった。

 

「妹」がよくわからなくて、母がしばらく帰ってこなかったときに、病院に行った。

寒い廊下で、ガラス張りの向こう側にあかちゃんがたくさんいた。

たまに父や母が緑色のエプロンをつけてあかちゃんを見せてくれた。

もちろん、幼いあたしに「姉」になった自覚もなければ

そのあかちゃんが家族である認識もない。

緑色の丸椅子にしまじろうを座らせて、知らない人と話す父を待った。

丸椅子の真ん中に穴が開いていて、しまじろうがちゃんと座れないのが嫌だった。

 

しばらくして、母が家に帰ってきたけどあかちゃんはいなかった。

そこからまたしばらくして、あかちゃんが来た。

みんなから口々に「おねえちゃんだね」と言われたことを覚えている。

おねえちゃんは偉いんだ。と思って、誇らしかった。

たぶんそこで姉である自覚が生まれたのかな。

 

父も母も祖母もみんな、妹を見ていた。

あたしのことも見てほしくて、妹が寝ていたベビーベッドに

無理やり入り込んだら妹は泣いた。

だけどみんなが笑ったから、嬉しかった。

 

母と話したくて、こっちに来てほしくて色々した。

何かするたびに「ちょっと待って」「あとでね」と言われたが

「ちょっと」や「あとで」がよくわからなかった。

あたしの中でそれは今この瞬間だったから、母に言われると

「もう『ちょっと』になったよ!」とか、「『あとで』になったよ!」と

言っていたことを覚えている。

 

おねえちゃんになってから、あたしが泣いたりわがままを言うと

大人たちから怒られるようになった。

電気を消した部屋に閉じ込められたり、ベランダに出されることが多くなった。

父は「ナタで足を切るぞ!」とよく言ってた。

ナタがよくわからなかったけど、足を切るのが恐ろしくてよく夢に見た。

祖母は「泣くなら帰る」とよく言った。

泣き止まないと会えなくなると思って怖くてもっと泣いた。

 

今思えば、ただ単純に寂しかった。

そして悲しいことに、そんな寂しいもどかしい記憶が強くて

楽しかったことの記憶がなんとなくもない。

写真やビデオを見返せば絶対あるはずなんだけど。