おもうこと

ふつうの20代ってこんなかんじ

活動自粛

照の活動自粛について思うこと。

 

HiHi Jetsの作間くんと橋本くんの活動自粛の時に

違和を感じたアラサーファンの私。(笑)

MADEの秋山くんの退所の時に、納得というか

否定も肯定もない気持ちになった私。

最大の違和は、その意図や顛末を世間に公表すること。

 

一昔前・・・ってどれくらいのことを指す言葉か

よくわからないんだけど。

私がまだ子供の頃は、Jr.に限らず未成年飲酒や喫煙騒動で

「自粛」ではなく「謹慎」になり、

「一定期間」ではなく「無期限」が絶対だった。

そしてその先はほぼ退所。

 

「自粛」とは自らの意思で反省し、行動や言動を控えること

「謹慎」とは他者の意思で行動や言動を、慎むこと

 

内くんや草野くんの未成年飲酒・喫煙騒動。

無期限活動謹慎に加え、研修生からのスタートとなり

草野くんはいつの間にか退所し、内くんはまた表舞台に返り咲いた。

 

龍太郎の未成年喫煙騒動。

無期限活動謹慎からいつの間にか退所へ。

 

デビュー組として世間で活躍していたメンバーでさえ

退所については公表されず、戸惑うファンはいつでも置いてけぼりだった。

 

犯罪とは別の問題を起こして退所していった数々のメンバーも

この世界で頑張れなくなって退所していったメンバーも

事務所からの公表は大体なかった。

 

当時は子供なりに、好きなアイドルが突然姿を消すことに

憤りを感じて文句垂れてたけど、公表しない意図って

「夢」を守るためのジャニーさんのやり方だったんだと思う。

 

アイドルは虚像っていうのは語弊があると思うけど

ジャニーさんは、「夢を与える」ことをとても大切にしていた。

その「夢」を壊す者は、無かったことにされたんだと思う。

 

ファンが戸惑うのと同じように、それを間近で見ている

メンバーや同僚たちはそれ以上に戸惑ったと思う。

 

いつの間にかそれが普通だったけど、上層部の体制変更や

ネット社会の普及によって、無かったことにするには限界があって。

噂がうわさを呼んであることないこと言われるよりも

顛末と処遇を公表する方があらゆる面でプラスと判断されたんだろう。

 

以前の考えが残る私は、それによってこのアイドル達に現実味を

感じてしまってなんだか嫌なんだけど。(笑)

でも、自らの意思の反省を促し、それを受け止めてくれる

やり方になったのは素晴らしいなあと思って。

今までの謹慎メンバーがそうじゃなかったわけではないけど。

 

その方が、本人たちの反省もより深いものになって、

嫌な言い方をすれば見せしめにもなり、他所属タレントの

行動も少なからず変わってくるだろうし。

 

「夢」を与えるジャニーさんの思想は、公表されることによって

風化されるわけでもないし。

「夢」を与え続ける為の、今の世に合ったやり方なんだと思う。

 

 

それによって、メンバーの温かさを感じることもできるしね(笑)

今回のSnowManCDTV、グッとくるものが結構あった。

 

照の衣装を羽織り、震える声で謝罪の言葉を述べるふっか。

背筋よく口を結んで、前を向く他メンバーの表情。

 

入所歴も浅く、先輩方のそういう姿を見慣れていないラウは

戸惑いと緊張の強い表情。

康二は焦燥感と不安の入り混じる表情。

目黒は不安を見せまいと踏ん張る表情。

オリジナルメンバーという呼び方はすごく納得がいかないけど

SnowManのメンバーはそれぞれ、覚悟と、既に先を見据えている

ような、どっしりと構えつつもうろたえる気持ちが拭いきれない表情。

照の居場所を守るために、8人で走り切ったステージ。

 

少しずつみんなで照のパートを分けて、

どこか照の匂いを残したパフォーマンスを届けてくれて、

 

こういう魅せ方もあるんだなっていうのは

一番初めにキンプリで感じたんだけど

(岩橋の立ち位置を空けたり、メンバーカラーを残したり)

 

少なくとも以前のジャニーズより

体温を感じる魅せ方になったなあと

これもまた「夢」を守るための素敵な手段だなと思った。

 

照がんばれ~。大丈夫だ。

病院

さすが外出自粛・・・なんて思ったのは近所の病院に

行ったところまでだった。

 

病院が終わったあと、スーパーに寄って帰る

ために駅前まで出たら、全然人いるじゃん(笑)

 

さすがに駅ビルは薬局とスーパー以外は

臨時閉店しているところがほとんどだったけど。

駐輪場に全然自転車が置いてなかったのは驚き。

 

だけど、若者が断然多かったな・・・

スーパーの小さい飲食スペースで奇声上げてる集団いるなと

思ったら、たぶん中学生くらいの女子3名。

声だけ聞いたら10人くらいいると思ったら。

ああやって騒ぐのがステータスだと思ってた頃も

あったなあなんてぼんやり。

 

 

病院で再び3クール分のホルモン剤もらってきた。

飲み続けてちょうど2年。

きっと、妊娠したいって思うまで飲み続けるんだろうな。

 

先週まで長引いた頭痛の件を聞いてきた。

血栓症というか、それに伴う脳卒中の危険性があるとのこと。

ただ、脳卒中の頭痛は熱は伴わないそうなので

今回の頭痛は普通に風邪だったんだろう。

ひとまず、安心。

 

今日の感染者数は60名を超えたとのこと。

こりゃ週明けも自宅待機になりそうだな・・・

社用携帯はあるからテレワークはまあできるが

PC持ち出しができないからかなり作業は制限される。

家で仕事って性に合わないから嫌だ。

失敗

ある失敗をした。

 

失敗には小さいも大きいもないと思う。

この感情を語弊なく書き表すのは難しいけど

腹の底から後悔し、反省する。

 

今の職場の人は、失敗を責めない。

自らの反省を促し、自らで改善させようとさせてくれる

とても寛大な先輩方なのかもしれないし、

とっても冷たいのかもしれない。

 

怒られたい訳ではない。

だけど、反省して静かになるあたしを見て真面目過ぎると笑う。

それが嫌なわけではないが、違和を感じる。

 

あたしのしわ寄せを、先輩方が処理する。

すっごく迷惑で、面倒をかける。

なのに、怒らない。・・・こういうもの?

 

 

小学生の頃、オシャレなサンダルを買ってもらった。

ビーチサンダルしか履いたことがなかったので

嬉しくて毎日履いた。

お父さんと出かけた時に、ふいに躓いて転びかけた。

「そんな訳分からん靴履いてるからだ!」と火のついたように

怒られ、次の日にはそのサンダルはなくなっていた。

 

キッチンで麦茶をついでいた。

麦茶ポットを冷蔵庫にしまおうと後ろを振り向いたら

お父さんにぶつかって、その反動でコップに背中が当たり

麦茶をこぼした。

「お前の目はどこについてんだ!」とヒザで小突かれた。

 

4年生の頃、生理が安定しなくてプールに入るのが怖かった。

何度か休んでいたら、授業が始まる前に先生に黒板の前に呼ばれた。

「嘘つくな。生理用品見せろ」クラスメイト全員の前で

ナプキンを見せなければならなくなって、泣きながら見せた。

「お前は病気だ。」と言い放たれランドセルと一緒に廊下に出された。

 

そんな幼少期。

失敗がとてつもなく恐ろしいものだった。

 

そして、17歳もそこそこで社会に出た。

大人が満足するような敬語も使えなければ

業務パフォーマンスも未熟だった。

 

説明を間違えると、「てめえの人生めちゃくちゃにもできるんだぞ」

と何度もクビを宣告された。

恐ろしくてたまらなくて、一語一句間違えないように

毎日読み込んで暗記した。

ふいに説明の順番を間違えた時、上司の言葉がフラッシュバックして

汗だくになって息が上がりながら進め、終わった瞬間に

泣きながら謝った。

 

医療系に勤務していた時、来院患者の対応で

留守電の解除が1,2分遅れてしまった。

院長室に呼び出され、ひたすら怒鳴られた。

ドクターたちの前で顛末の説明をし、謝罪した。

絶対に失敗しないために、始業の2時間前に出勤し

毎朝綿密な確認とシミュレーションをした。

 

そういう今までだったから、怒られないことは

非日常で、なぜか怒られることよりも恐ろしい。

 

だから毎日、今日してしまった失敗を思い出し

改善を考え、二度と起こさぬよう猛省する。

繰り返してしまう失敗に対しては、自分への腹立たしさが

勝り、改善方法を何度も何度も何度も書いて覚える。

 

怒られないと、なんで?とすがりたくなる。

もう要らない?どうでもいい?

 

あー。よくわからない。

頭痛

先週の火曜からずっと頭が痛い。

 

先週、悪寒と発熱もあってふわふわするし

これはさすがにヤバイと思ってインフルの検査

してみたけど陰性。

 

確かに、頭痛と熱だけで咳や鼻水はなかった。

 

首の付け根が主に痛くて、こめかみと眉間が

締め付けられて目の奥が痛い感じだったから

蓄膿症かと思ったけど、特段鼻は詰まってない。

 

痛み止めの効きが悪い。

 

あたしは無月経のため、ここ2年程ホルモン剤を服用中。

そして喫煙者なので、ついに血栓症か?と思い調べてみたけど

血栓症の人はふくらはぎの痛みも伴うようで、あたしはそれはない。

 

来週婦人科に行く予定だから、それまで続くようなら

先生に相談してみようかな。

 

そもそも無月経になったのは、訳あって拒食症のようになってしまい

短期間で急激に13~5キロ痩せて、視床下部のホルモン分泌が

少なくなってしまったことが原因。

今はその分増えたけど、まだ薬は飲み続けないといけないらしい。

 

そして、数年前に多嚢胞性卵巣症候群の診断があり、それから数か月後

卵巣嚢腫で夜中に恐ろしい腹痛に襲われ、救急車で夜間救急へ。

すぐに入院を。と言われたが大事な仕事を控えていたため、当日入院はせず

痛み止めでこらえながら翌々日入院手続きに行くと、嚢腫が小さくなっていて

通院治療になった。

 

将来、子供を望むなら不妊治療は必須だ。

 

生理が始まったのは小学3年生の冬で、結構早いほうだった。

初めからあまり安定しなくて、周期通りに来ないし、

来たらなかなか終わらないし、生理痛はひどいし、散々だった。

 

フェイスラインやあごのニキビって、女性系の不調って

言われることが多いけど、確かに昔からおでこより

その位置にできものができることが多くて(今も)

フェイスラインのニキビはしこりになってしまって

皮膚科で治療中。

 

しこりを小さくするためにステロイドの注射をしたら

過剰反応してしまい、しこりは小さくなったが顔中に

丸い斑点のようなかゆくてカサカサで痛いものが広がって

抗アレルギー剤を飲んでいないとかゆくて痛くてたまらない。

 

ただれが酷くなると、肝機能障害の人がやる

毒素を出す注射(普通の注射より量が多くて針が太め)を

してステロイドの薬を増やして、落ち着かせる。

 

・・・・散々だ!

幼稚園①

いくつか母と幼稚園の見学に行った。

上裸健康法?で、季節問わず男女問わず園庭で上裸になって遊ぶ幼稚園

神社の中の建物で、大きなくじらがいた大きな幼稚園。

母は何を基準に決めていたのかわからないが、いくつか回った末

大きなお寺が経営する幼稚園に入園した。

 

お気に入りは、広いお庭にある飛行機の遊具。

ビワの木。収穫の季節になるとお昼ご飯の時にみんなで食べる。

長い滑り台。石の滑り台だからあまり滑らないけど、2階から1階に

かけて滑り落ちるのが楽しかった。

 

歌を歌いながら、手でハートを作る振り付けを先生に

教えてもらったとき、うまくできなくて泣いた。

形を作って、人差し指の爪と親指の腹をそっとくっつける

だけなのに、力を入れてぎゅっと押し付けるもんだから

ハートの形が縦長にいびつで、先生みたいなかわいいハートが作れなかった。

 

おままごとのとき、おぼんが大人気だった。

いつも特定の子とおぼんを取り合って、大体負けた。

いつの日か、おままごとよりブロック遊びのほうが楽しいことに気づいて

女の子と女の子の遊びをするより、男の子と戦いごっこをしたり

ダンゴムシを集めたりするほうが楽しかった。

 

たぶん、初めて好きな子ができた。

いつも一緒に遊んでいて、ブロックでかっこいい銃を作る子。

作り方を聞いても、自分で考えて!と教えてくれない子。

茶髪でオシャレで、いつもあたしの名前を呼んでニコニコして

髪の長いカッコいいワイルドなお父さんがいて、ごつい車に乗って。

髪を染めている子も、男の人なのに髪の長いお父さんも

初めてだったから魅力的だったんだと思う。

母親同士も仲良くしていて、よく遊んでいた。

 

パン屋を経営するお父さんがいる女の子がいた。

たまに帰りに寄って、パンを買ってもらうのが楽しみだった。

お昼ご飯は給食の日とお弁当の日があったけど

その子んちのパンを注文できる日があって、よくねだった。

 

園内着にワッペンで名前を付けている子がちらほら

増えてきて、すごくうらやましかった。

あたしも欲しかったけど、「忙しい」と母に断られた。

ずっとずっとずっと欲しいと言い続けて、年長さんのときに

ついに名前のワッペンをつけてもらってめちゃくちゃ自慢した。

 

幼稚園の時のあこがれは、友達のお母さんだった。

うちの母は、小柄で髪が短く小動物っぽいかわいい系。

笑うときは豪快に笑い、心配性でいつも荷物が多い。

 

その友達のお母さんは、すらっと背が高くて髪が長く、

おしゃれな靴と小さいカバンを持って、いつもゆるっと

腕を組んで少しけだるそうに片足に重心をかけて立つ

かっこよくてキレイな人だった。

 

笑うと鼻にしわが寄る顔がうらやましくて、鏡を見ながら

練習したけど、あたしのその顔は不細工ですぐやめた。

 

好き、憧れ、嫌い、いろんな感情を体験した幼稚園。

ともだち②

自転車の練習をしていた。

補助輪付きの自転車を乗り回していたが、近所の

一つ上の男の子にその姿を見られるのが恥ずかしくて

近くの公園で内緒で練習していた。

 

その子がやることなすことが魅力的で

同じようにできるようになりたかった。

 

いつもお菓子を持って一人で遊んでいる女の子がいた。

ゆくゆく小学校で出会うことになる。

 

いつも公園の隅で石を集めている男の子がいた。

その子もゆくゆく小学校で出会うことになる。

 

砂場で遊ぶ知らない小さい子と一緒に、

その子のスコップで砂の山を作って遊んだ。

あたしはその子のスコップを壊した。

「すぐ壊れるスコップなの?」と言いながらその子のお母さんに渡した。

いいことと悪いことの分別くらい付いている年齢だったと思うが

謝れなかった理由はわからない。

母が謝っていたのを覚えている。

 

よく遊ぶ近所の公園は、野球場も併設された大きな公園だった。

が、敷地内にある木や草が植わったエリアはいつも暗く、

じめじめしていてホームレスがたくさん住み着いていた。

滑り台の脇に自転車を止めて遊んでいるときに、水道で洗濯していた

ホームレスが、あたしの自転車に服を干していた。

 

その内プータロー狩りという物騒な暴行事件があり

環境整備のために大掛かりな工事があった。

 

この頃の記憶は非常にあいまい。。

卒業式

一番下の妹の卒業式だった。

昨今の新型ウイルスの影響により、

歌唱や証書授与の際の呼びかけも中止。

子供たちも保護者も全員マスク。

 

何にしろ、実施できて良かった。

 

6年間よく頑張ったね。

両親はあたしから始まり、四半世紀近く通い続けた。

 

当時あたしが作った卒業制作の掲示はなくなっていた。

数か月に1回の楽しみだった、ランチルームでの給食。

少し豪華な部屋で、アルミの食器じゃなくて

陶器のオシャレな食器で給食を食べる行事も

今はないらしい。

 

校庭に、植物や野菜を育てた一角がある。

学年ごとに畑が割り当てられて、常に季節物を育てて

にぎやかだったが、今はほぼ土だけ。

 

うさぎ小屋があって、休み時間の度にうさぎを見に行った。

学校全体で行う係活動では、飼育係が一番人気だった。

もう10年近くうさぎの飼育はしていないらしい。

 

私が低学年の頃に赴任してきたおじいちゃん先生が、

定年後もなおボランティアで勤めている。

うちの兄弟は全員お世話になったので、最後に

みんなで写真を撮ってきた。

 

あたしが小学生の頃と比べると、妹は非常に精神力が強い。

友達の陰口を言う子がいたら、スッと離れて関わらないようにしたり

学年やクラスの垣根を越えて分け隔てなく仲良くできたり。

 

あたしの頃は携帯を持っている子なんてごく少数だったけど

いまやほぼ全員がスマホを持っている世代。

ネットが身近にある分、トラブルも起こりやすいものだと

思っていたけど、彼女たちは彼女たちなりにネットリテラシー

学んで、上手に活用できているようだ。

 

次は中学生。

中学生になると、社会での共存や上下関係、主体性、

メンタルコントロールについてを下手くそな環境の中覚えていく。

 

きっと抱える悩みも多くなる。

嬉しいも悲しいも同じくらいの量で、しかも怒涛のように押し寄せてくる。

小学校の6年間を超える程濃い3年間になる。

 

たくさん失敗すればいい、心のケガも体のケガもたくさんすればいい。

今じゃなきゃできないことを精一杯やってほしい。

 

どんな大人になっていくだろう。